暴動と報道
2010年2月6日
2010年1月末、ナイジェリア中部プラトー州の都市ジョスで宗教暴動がふたたび起こった。そのニュースを日本で見ていたわたしは、自分がプラトー州にいたあの日のことを思い出していた。
2008年11月末、ジョスでの宗教暴動のニュースが世界へ向けて報道されたその翌日、ジョスで、ナイジェリアのアーティストたちが主催する国際アーティストのワークショップがおこなわれる予定だった。わたしも参加者としてジョスへ向かっていたのだが、急遽、ジョス市内に入る手前で他の参加者たちと合流し、そこから車で1時間ほどのパンクシンという町に滞在先を移すことになった。
在ナイジェリア日本大使館や在留日本人の知人たちをはじめ、多くの人たちが心配して何度も電話をくれた。そのたびにわたしはみんなにこう伝えた。
「ここは大丈夫。みんないつもどおり暮らしてるし、祭りもおこなわれてる。伝統首長に地方政府のリーダー、警察の署長にも挨拶して、みんなが歓迎してくれてる。地元大学の美術学部とも交流しながら、元気にやってるから」
宿の衛星テレビからは、相変わらず暴動を報じる欧米のニュース。外に出れば、サハラ砂漠から吹く乾季の風「ハマターン」がもたらす心地よい冷たい空気。宿の裏に広がる茶色の野原には、小枝に生るオクラの実。初めて目にした野のオクラは、パリパリになってもなお、何ごともなかったかのように、凛と生っていた。
(毎週土曜日更新)