この暮らし、あの感覚
2010年8月7日
先日、彫刻家のアフォラヨンさんが畑に連れて行ってくれた。トウモロコシ、キャッサバ、ヤム芋、菜っぱなど、ここでは多くの人びとが、自分たちでできるかぎりの農作物を育て、家族で食べる。アフォラヨンさんのうしろではしゃぎながら畑をまわり、あのころと同じ、土と緑のにおいをかぐ。
一緒にこたつで暖をとっていたはずの祖母の姿がない。ひとりで目が覚めた、冬休みの午後。急いで玄関へ行くと、手押し車がなくなっている。あわてて坂を下って畑へ向かう。大根畑のなかで、しゃがむ祖母の姿を見つけた。
長い綱を引いてやっと上がってくる、バケツに入った井戸水。木の葉や枝だけじゃない、蛙もたまに泳いでいる。土で茶色く濁っているけれど、なんともない。それで顔も体も、食器も服も洗う、ナイジェリアの暮らし。
小さなわたしには、そこに手がとどかない。夏休み、朝一番に祖父にたのんだのは、土間の引き戸の上にあるスイッチを押してもらうこと。裏庭の蛇口から出る水は、井戸水に切り替えられた。電動ポンプで引き上げられた澄んだ水は、冷たくて、すごく気持ちよかった。
体に染みついた感覚は、いまも、ここで息をしている。
(毎週土曜日更新)