境界をこえて
2010年10月15日
写真: 国境付近からみるビルマ東部の国境地帯
「想像してほしい。難民は、こんなにも続く森のなかを歩いてここまでやってくるんだ。ここから見えるどこかにも国内避難民がいるんだ」
コーレーは、目を細めながら、彼方まで続く山々を指して言う。
こうして眺めていると、国境というものの恣意性をあらためて実感する。それと同時に、果てしなく続く山と森のなかで生きる人びとのたくましさに驚かされる。
森には、さまざまな顔がある。故郷を追われ、食うに食えなくなっても恵を与えてくれる森、人間に豊穣や災いをもたらす精霊が宿る森、ビルマ軍が潜伏する森、それから身をかくまってくれる森。今もこの森で、数万人の国内避難民が生きている[1]。
森のなかで暮らすことは、必ずしも望ましい状態ではない。都市部で暮らす多数派のビルマ族は、森のなかで暮らすものを「未開で野蛮な人」ととらえる。同じように、森で暮らすことを「動物のように暮らしていた」と否定的に語る難民も少なくない。
難民は、さまざまな境界をこえて移動する。それは目に見えないが、たしかに存在する境界である。故郷と森の境界、ビルマとタイの国境、難民キャンプとタイ社会の境界やタイと第三国の国境をこえていく。
私たちは、日本で暮らす難民を、「日本社会のなかの外国人」とみなす。しかし忘れてはならないのは、彼・彼女らは、いきなり日本へワープしてきたわけではないことだ。故郷での暮らし、森での暮らし、難民キャンプでの暮らし、タイでの暮らしの延長線上に、日本での生活があるのだ。
- [1]現在ビルマ東部には、推定47万人の国内避難民がいる。そのうち、約23万人が停戦地帯で、約13万人がビルマ軍の指定する強制移住地域で、残りの約11万人が自由発砲地帯となっている辺境地域で、ビルマ軍から隠れて生活を送っている。
参考資料: Thailand Burma Border Consortium. 2009. Protracted Displacement and Militarization in Eastern Burma. Bangkok: Thailand Burma Border Consortium.↩