難民キャンプにプライバシーはあるのか?
2011年1月15日
難民キャンプと村落は一見すると見わけがつかない。住居が不自然に密集しているところからは、そこがキャンプであることを推察することができるかもしれないが、難民自身がそこを「村」と呼ぶことがあるように、生活感があふれている。
キャンプの住居は高床式で、木材と竹で骨組みをつくり、壁と床は薄く裂いた竹でしつらえる。壁も床も薄いので、床は骨組みの部分を歩かないと抜けてしまいそうになることもある。屋根はユーカリの葉を編みこんだものを重ねたもので、2~3年に一度張り替える。こうした家の構造から、日中は外に比べて涼しく感じる。家のつくりや間取りはそれぞれである。
来客を迎えるのは、玄関を入ったところにある「リビング」で、そのほかの部屋の入り口はドアか布で仕切られている。壁にはビルマの俳優や女優のポスターなどが貼られている。写真のように、ポスターは外壁に貼ることもあるが、家のなかに貼ることのほうが多い。12月~1月あたりの朝夜は、ダウンジャケットを着ても過ごせるほど冷えこむからである。気休め程度ではあるが、ポスターはすきま風の対策にもなる。
以前の記事の写真のように、どこのキャンプも住居が密集している。また、上のような住居のつくりもあいまって、「キャンプにはプライバシーがない」といわれることがある。支援関係者をはじめとする外国人が「プライバシーがない」というとき、それは、家の構造や立地ゆえに、他人に干渉されない時間や空間はない、という意味で使われているように思われる。それは、本当にそうなのだろうか。
私が調査対象者とする人びとの故郷は、ビルマ東部のカヤー州というところである。さまざまな事情でカヤー州には原則として外国人は入れない。このため調査研究はほとんど進んでおらず、人びとが難民になる前と後の変化を知るのは難しい。
このカヤー州でただひとり、1960年代に調査したある人類学者がいる。彼によれば、それぞれが所有する家と土地はフェンスで仕切られている。私的空間について彼は詳述しているわけではないが、明確な線引きがない田畑とは対照的に、区切られた居住空間は個人的に相続される財産で、これがカヤー州西部の村落の特徴だと述べている[1]。
さてキャンプはどうかというと、それぞれの家屋は、フェンスで家の四方が仕切られているわけではない。積極的にフェンスが設けられているのは、広場や道路に面している家屋である。しかし、個々人の家を物理的に仕切るフェンスはなくとも、他人の家への心理的な境界は残っている。
この境界が顕著にあらわれるのが、家庭内暴力の場面である。住居の構造上、怒声や悲鳴は近隣にも十分聞こえる。しかし、明らかに家庭内暴力とわかっていても、近所の人が介入することはない。その理由を、あるインフォーマントは、サッカーに喩えて説明する。「フィールドでサッカーをしている選手のところに、選手以外は入ってはいけないでしょう。それと同じ。外の人が内にはいってあれこれするのは良くない」。
物理的な条件からみると、ご近所の様子は筒抜けである。しかし、社会的な側面からみると、「プライバシーがない」わけではなく、自他をわかつ境界は確かに存在している。このことに一言つけ加えるなら、家庭内暴力の予防には、難民にさまざまな教育を提供することに加えて、よその家のことは「見て見ぬふり」をする私的空間のあり方を解明する必要があるのではないだろうか。
- [1]Lehman,F.K. 1967. Burma: Kayah Society as a Function of the Shan-Burma-Karen Context. In Contemporary Change in Traditional Societies (2) Asian Rural Societies, Julian H Stewart (ed.), University of Illinois Press, p.77.↩