言い逃れ
2011年7月2日
宮本常一・安渓遊地著 『調査されるという迷惑』(みずのわ出版、2008年)にあるように、調査者は、調査対象者に、さまざまな迷惑をかけている可能性がある。迷惑をかけていないつもりでも、迷惑をかけていることがあるから調査は難しい。難民を調査対象とする場合には、独特の難しさがある。
難民たちは、さまざまなインタビューを体験した後に調査者に出会う。もしかすると、調査者は、最後のインタビューアーなのかもしれない。ビルマ難民の場合、彼らは、タイ国境に着いた時点で、国境警備隊との問答を繰り返し、キャンプ生活の開始時には、個人情報を登録するための質問に答え、その後は提供される支援について、国際支援機関のインタビューを受ける。
こうしたプロセスを経た後に対面するのが調査者である。よって、自分のことを「流ちょうに」語る人もいれば、不利益を被ることを恐れてか、口が重い人もいる。誰しもよく知らない人に自分の話を好んではしない。そんなときに、相手の気分を害さずに、うまく切り抜ける方法を彼らは知っている。その切り抜け方を2つ紹介しようとおもう。
その1.状況次第
調査をはじめた頃からの私の友人・米国人のマイケルとよくネタにする言い回しが、“depends on the situation(状況次第)”である。英語でこれからの身の振り方や、意見を尋ねられると、彼らはよくこの言い回しを使う。
こちらとしては、煙に巻かれたような気がするのだが、当然、彼らはさして気にとめていない。
というのも、この回答が、次の二点で当を得ているからである。ひとつはとにかく質問には答えていること、もうひとつは、あながちウソを言っているわけではないという感覚が本人にはあるからである。
よく「10年も20年も難民生活が続いている」と言われる。これはあたかも同じ状態が、これまでもこれからもずっと続いていると思わせてしまう。しかし、変わらないようにみえる生活にも変化がある。この点について詳しくは別稿に譲るが、収容者ではなく生活者の視点からみると、決して難民生活は、不変ではない。
その2.何も起こらない
もうひとつは、「バー・マ・ピッ・ブー(何も起こらない)」という言い方である。転じて、「どうっちゅーことない」とも「どうにもならない」とも意訳することもできるだろうか。
これから起こりうることや、将来像なんかを尋ねると、こう切りかえされることがある。先が読めない事態をあれこれ考えるのではなく、思考停止し、会話を絶つさいによく用いられる表現だ。これはビルマ語だが、ビルマ人も同じように使うのかはわからない。
これらの「言い逃れ」は、調査者が放つ面倒な問いかけに答えつつ、回答を回避する言い回しである。同時に、一寸先の不確かな未来への向き合いかたをも示唆している。どうってことない、状況次第で身を処するところに、彼らの生活戦略の本質があるのかもしれない。