祈れ
2011年12月10日
どうしようもない状況で9jaの人びとは祈る。でもそれは、困ったときの神頼みではない。
彼らはいつも、毎朝目ざめてすぐ、仕事をはじめるまえや旅立つまえ、食事のまえや集会の終了後、そして1日の終わりに、祈っている。貧富の差、権力ある者から弱き者への搾取、何十年待っても整わぬインフラなど、多くの人びとにとって、3度の食事やきょうの仕事、通学や進学もままならない。
神を信じて、感じて、感謝して祈る姿は、たくましい。右も左も行き止まり、まえに進むこともうしろへ戻ることもできない選択肢なき状況で、祈りつづけて道を切りひらいていく。
もう祈るしかないからなのか。信じてやまない心があるからなのか。
気づけばわたしは、どうしようもない日に祈るようになった。ありあまる選択肢をまえにどうしようもないだなんて、甘えた人間の戯言を神さまが聞いてくれるだろうか。
「一緒に祈ろう」「祈ってるから」「祈るのよ」
そう何度も言われた9jaの日常を思い出す。信じるつよさを、祈る力を、いま、もう一度感じてみる。
(毎週土曜日更新)