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煩悩即菩提

2011年12月31日

2003年8月、イフェ モダケケ地区のトインの下宿のまえにて

d beauty of9ja――誰かに経験と思いを伝える文章を手紙以外で書いたのは、これがはじめてだった。本をろくに読まず、ボキャブラリーが貧困なわたしが、文章をとおして、人になにかを伝えようとしている。そうして過ごしてきたこの2年間が、信じ難くもある。

中学生のころからミュージシャンになりたかった。音を奏でるイメージは、いまでも頭から離れない。歌うように、鳴らすように、伝えられたらいいのにと思っていたが、簡単じゃない。言葉を探し、文章をつなげ、活字で表現するということ。わたしを知らない誰かに伝えるため、目で見たこと、肌で感じたこと、脳裏に浮かぶものを書くことに思いのほか骨を折る。友だちに書く手紙なら、迷わず筆が進むはずなのに。目を見つめれば、きっといくらでも語りかけることができるだろうに……。

頑固であきらめの悪いわたしは、これから一体どれほど柔軟に、まっさらに、書いていくことができるのか。誰に頼まれるでもなく、なにかに追い立てられるわけでもない。無理して伝える必要なんてない。それでも伝えたい欲望がとまらないのは、伝えたいものをわたしにあたえてくれる人たちがいるからだと言ってしまうと、ずるいだろうか。

Photo
2003年8月、大型の鉄鍋でジョロフ・ライスをつくるトイン。当時はまだデジタルカメラを使っておらず、数に限りのあるフィルムがなくなることを恐れ、「遊び」はインスタントカメラで撮っていた。「遊び」こそかけがえのない大切なものだとは知らずにいたころのことだ。この日は、大学で新入生歓迎会が開かれることになっており、幹事であったアミナは、歓迎会用の食事をつくるためにトインとわたしに手伝いを頼んだ。ナイジェリアの都市では、屋外でこのように料理するのは基本的に賄いの仕事をしている人のみで、料理はふだん屋内の台所でする。土曜日の午後、青空の下ではしゃぎながら、ふざけながら、必要のない味見を何度もしながらご飯を炊き、夕方無事に会場へ届けた。はじめての9ja滞在で苦しかった2か月半のなかで、たのしいと感じた数少ない日のひとつだった。
 
この連載の第1回目は、トインの「出発」ではじめた。ここに写っている彼女の6年後の姿だった。100回目となる今回は、トインに出会ったころの写真のなかから、わたしが一番好きなこの写真を選んだ。2012年からは、更新曜日や頻度をふくめ、あたらしいスタイルで書きはじめたいと思っている。
 
2003年8月、イフェ モダケケ地区のトインの下宿のまえにて

(毎週土曜日更新)