犬は人の言葉がわかると言われているが……
2014年1月2日
=愛犬家には「うちの○○チャンは言葉がわかるのよ」と相好を崩す人が多い。そういう私もその一人だが、ただ私は、犬が人間の言葉を人間と同じくその意味を認識した上で理解しているとはまったく思っていない。
=例えば私の愛犬たちは、ボールで遊んでいる最中に途中で興味が移り、その行った場所の匂いを嗅ぐことに夢中になってボールを置き忘れることがよくあるが、そんなとき「ほら、ボール忘れているよ。ちゃんと持ってきて」と私や相棒の女性がいうと、匂いを嗅ぐことをやめてボールをくわえて戻ってくる。その光景を見ている人は「すごいですね。ちゃんと言葉がわかっているんですね」というような類いのことを何度も言われるが、その度に言葉がわかっているとは思っていない私は、それをムキになって否定するのも失礼なので「ええ、まあ」と曖昧な返事になってしまっている次第だ。
=犬は人間のようにボールを球形のものの総称という言葉の意味を認識した上でそのとき発した言葉を理解しているというよりも、毎日オモチャとして遊んでいる球形の物体を、飼い主がいつも「ボール」と呼んでいて、その言葉の音はもちろんのこと、転がっていく動きや飼い主が投げる行動や、ゴムなどの材質、噛んだりすることによって付いた匂い、噛み心地や微妙な形状、色など、すべてが関連して刷り込まれ、それらトータルでそのボールを「ボール」と認識し、置いてきたそのボールを持ってきて、結果として人間の言葉を理解しているということになるわけだ。さらに、その種の行動を何度も繰り返しているから、あたかも完璧に理解しているように思える行動をしているのである。だからそれが気に入らないボールだったら、いくら持ってきてと言っても反応はしないし、またバレーボールのような大きなボールを鼻先で転がしてでも、うちの愛犬は持ってこない(ただ、このコマンドをうまく犬に刷り込めば可能になるが)。
=ついつい人は犬が言葉をかなりわかっていると思ってしまうし、それでもいいのだが、ただ「人間イコール言葉」といってもよいぐらい、極めて高度に発達した人の言葉は人間のアイデンティティそのものであり、人は地球上で希有な動物である。だから何かにつれ人は言葉を発し、当然のように言葉によるコミュニケーションを行ってしまう。人がその立場を忘れてしまうと、犬に対する理解や犬とのコミュニケーションなどで様々な問題が生じてくるのは当然のことで、そこには必要以上に“上から目線”というフィルターもかかってきてしまう。
=一方、犬は気配や気、エナジーなどで表現される無形のものを敏感に感じ取ることが中心にあり、その上でこちらの行動や動作(視覚)、声に代表される音(聴覚)、そして匂い(臭覚)といった感覚が加わって、総合的に極めて高いレベルの様々な理解や判断を行っていく。特にこの無形のものを感じ取る能力は、人間以上と思えることも多く、人間が犬に対してリスペクトするべきポイントのひとつだろう。また、人間が犬を観察している以上に、犬は人間をよく観察しているという、他の動物ではまずあり得ない特長が合わさって、人間と犬は言葉がわからないのに極めて深いコミュニケーションが可能なのである。「犬は最古で最良の人間の友」というのは絵空事ではなく事実なのだ。
キャプション
●Photo.1/11歳を超えたアンディ。おかげさまで未だ元気いっぱい。犬との成熟した深いコミュニケーションを日々実感
●Photo.2/犬は本当に人の行動をよく観察している。玄関から音もなく忍び寄り、いつの間にか横にちゃっかりオスワリ
●Photo.3/ディロンの今年の初ジャンプ。見事な跳躍。まさにフライングドッグだ
●Photo.4/湘南の夕焼けは元旦も美しかった。強風が吹き荒れ、人がいなかったので、人と犬の深い関係性が感じられるナイスショットが撮れた