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写真集『ゴールデンが最高』が出来ました!!

2016年5月4日

 この度、写真集『ゴールデンが最高』を自費出版で作りました。
 子犬を含めたカワイイ表情はもちろんですが、時にはトップモデルやトップアスリートように輝く彼らの姿や、自然のなかでの、のびのびとしたありのままの姿など、写真でしか見ることができないゴールデン・レトリーバーの魅力を凝縮しましたので、興味がおありになる方はホームページ「dogphoto.jp」内の写真集『ゴールデンが最高』のボタンをクリックしてください。

表と裏とダブル表紙になっています

表と裏とダブル表紙になっています


ゴールデンが最高_扉

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 その出版を記念して、今回はその一部の写真とあとがきのエッセイ『ゴールデンが最高!!』を短縮修正してお届けします。
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 私はゴールデン・レトリーバーの魅力に完全に参っています。表層的なことだけでなく、ライフスタイルや価値観、人生哲学にいたるまで、彼らに揺れ動かされ、写真まで撮りはじめてしまいました。私は何にそこまで惹かれてしまったのでしょうか?
 カワイイから、癒されるからなどなど……。ではなぜ可愛いと思うのか、何に癒されるのか、ゆっくりと慎重に薄皮をはがすように自問自答してきました。そしてひとまず一つの答えが見つかった気がします。それは人との近さです。それもゴールデンならではの「こころ」も含めた人との近さです。
 犬の最大の魅力は、群れない猫とは少し異なるこの人との近さにあると実感します。そこまでの近さを好まない人も多くいるでしょう。近いがゆえの難しさもあります。注ぐ愛情が歪む可能性もあり、人の管理下にある弱い存在の犬は、飼い主のエゴのはけ口や行き過ぎた所有物意識が投影しやすく、ペットロスという症状も近いがゆえの難しさと言えます。それでも私はこの近い距離感が魅力と感じてしまったのです。特にゴールデンはもっとも濃密・濃厚な人との距離感を持っている犬種のひとつなので、本当に惚れ込んでいきました。
 “種も違い、知能も劣り、言語を持たない犬との方が、人より深いところで通じ合えるのか?!”
 動物と通じ合うことがあるのは知っていましたが、自分の現実となるとやはり衝撃です。よく言われる“家族”に留まらず、その枠にも収まらない実に多面的な存在になりました。何故なら彼らは人ではないからです。犬と人の環世界(かんせかい:ヤーコプ・フォン・ユクスキュルが提唱した生物学の概念)が融合したさらに大きな世界、その未知の地平にゴールデンの優しく穏やかな性格と濃密な近い距離感が、私を導いてくれたのです。
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 ゴールデンとの生活が当たり前になった頃、あることを感じはじめました。
 「肉体的な苦労は多いけど、何だろう、この居心地の良さは? 精神的な違和感がほとんどない!」
 そう、共に過ごしていて心の違和感がないのです。犬と人という境界だけでなく、1対1の個体同士としてです。それは人間同士でもあまり踏み込んでこない深いこころの領域にも及び、彼らの持つ「犬ごころ」と私の「人ごころ」の波長が、妙にシンクロしている気がしている気がしたのです。
 どういう点が私とシンクロするのだろうかといろいろ考えました。結論への一つのキーワードは同じ国民のような居心地の良さ=『日本人』でした。ゴールデンの「犬ごころ」の特徴とは、日本人的な心の微妙なニュアンスを持っていることなのです。私の犬は3代とも未去勢のオスですが、良くも悪くも典型的な日本男性を感じて止みません。自分に似ている部分もあり、違和感がないのかもしれません。
 今では、ゴールデンならではの「犬ごころ」=日本人のような「人ごころ」と確信しています。いろんな方にゴールデンはどんな犬? と聞かれますが、そのときの私の答えの一つは“日本人みたいな心を持った犬です”となっています。
 なお、同じレトリーバーでも、ゴールデンとラブラドールでは若干異なります。特にオスではかなりの違いを感じます。それは農耕民族と狩猟民族の違い、西洋と東洋のような差を私は感じています。