人間たちのいる場所で
2011年4月2日
眠るその娘を見つめながら、ふと、想像してみる。80歳になった彼女はココナッツの木陰で腰かけて、何を思うのだろう。
寄りそって助けあい、傷ついて慰めあう。嫉妬して奪いあい、抱きあって笑いあう。相手につよさを求めたり、弱さを許したりする。探しもとめて、見つけて、やっとつかんだと思ったら、手からするりと落ちる。人間がふたり以上いる場所で、心はいつも忙しかった。ひとりならそんなことは起こりえなかっただろうに――懐かしさが胸をよぎって、彼女は母の背なかを思い出してみる。ぬくもりはいまもなお、彼女をやさしくつつみこんだ。
両親に抱かれ、兄や姉たちに手をひかれていたあの頃。どこにいても、どこへ行くにも、いつもみんなと一緒だった。幼稚園の制服を買うお金がなかったなんて、食べものをろくに買えなかったなんて想像したこともなかった。何を着ていたのかも、何を食べていたのかも覚えていない。どのくらい寝て、どれだけ泣いて笑っていたのかも思い出せない。でもひとりだったことはなかった。傷ついたことも、誰かを傷つけたことも、まだなかった。
老婆は立ちあがり、小さな丸い背をゆっくりと伸ばした。開かぬまぶたに差しこんだ木漏れ日は、ゆっくりと歩きだす彼女をおだやかに導く。ココナッツの葉は、静かに揺れている。
(毎週土曜日更新)