名前のない創作者
2011年5月28日
19世紀末から20世紀半ばにかけて、アフリカの木彫は欧米をはじめとする美術家や美術愛好家たちを魅了した。関心の中心は、珍奇で魅惑的、そして、エキゾチックな美。ピカソやマチスといったヨーロッパの画家たちも、その美に影響を受けて作品をつくった。彫刻のつくり手や享受する人、そしてそれが現地でどのように使われるのかということは、美術家たちにとっては二の次だった。
アフリカの彫刻のつくり手の名が学者たちによって明らかにされるようになったのは、1950年よりあとのことだ。アフリカの造形は欧米の美意識とは関係なく、アフリカ社会のなかで独自に生み出される産物であることが世に知らされていく。
「名前を入れると売れないからね」
毎日、毎日、ヨルバの神像を彫っては売るアヨデレは、あっさりと答えた。彼の作品は、現在でも、「名のある作品」としてではなく、「ヨルバの神像」あるいは「アフリカ彫刻」として売られる。定期的に買い取りに来る数名のバイヤーたちがアヨデレの名前を知っているかどうかもわからない。
「記念に国へ持って帰るといい。お父さんやお母さんも、喜ぶだろう?」
アヨデレはわたしを自宅の一室へ呼び、鍵のかかった木箱から作品を取りだして、好きなものをふたつ、選ばせてくれた。
「L. AYODELE (ローレンス・アヨデレ)」
わたし用にとくべつに彫ってくれた彼の名前。ふたつの像の底に力づよく名を刻むその姿を目に焼きつけながら、感じていた。つくり手ひとりひとりと対話することの重みを。
(毎週土曜日更新)