ごみがいざなう可能性
2011年10月8日
ごみのなかを歩くと感じる、人間の営みと息吹。街のあちらこちらで蒸留酒のサチェットを踏んでは思い浮かべる、昼夜酒を飲む人たちの姿。足元に散らばる同じせっけんのパッケージを何度も見ては思う、人びとの趣向と流行。投げ捨てられたマンゴーの種やトウモロコシのしんにつまずいて伝わってくる、季節の味わい。「ごみはくずかごへ」といったような、「近代型環境保全国家」ではなかなかできない発見や発想のプロセスが、9jaにはある。
この国に住むアーティストのエル・アナツイが作品の材料を見つけたのは、ごみのなかだった。道の脇に捨てられたいくつもの空き瓶のアルミ製のふたを見て、「なにか」をつくろうと思った。アナツイは金属の廃品をひとつひとつつなげてみた。そして、「なにか」は壮麗な彫刻作品へと変わった。
日常のごみから見つけたものは、発想や想像をへて、創造となりうる。ごみがいつでもどこでも目に入り、日常にあふれているということは、芸術に限らず、「なにか」の可能性につながるのかもしれない。ごみは本当にごみなのだろうか? 9jaで生まれる発想は、人類の未来を開くものかもしれない。
(毎週土曜日更新)