いつか、どこかへ ドォッカーデー
2010年6月15日
写真: メーラ難民キャンプ。最大のビルマ難民キャンプで、一時期、人口は5万人を超えていた
どこの国民でもない人たち
世界の全人口の216人に1人。この数字はなにを意味するのか、ご存じだろうか。
国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)は、2007年末の段階で、同事務所が把握している懸念対象者 [1] の数を3167万人としている。そのうち、自国の外に逃れた難民数は1139万人、自国内にとどまる国内避難民の数は、2027万人にのぼる。
世界の人口約67億人のうちの3167万人、つまり、216人に1人は、「どこの国民でもない人」の数である。この数は、実際にはさらに多いと思われる。それにもかかわらず、私たちは、この境涯にある人のことを、どれだけ知っているだろうか。テレビに映し出される「難民」像は、本当なのだろうか。私もまた、彼・彼女らに出会うまでは、なにも知らなかったひとりである。
このブログでは、私がひょんなことから調査・研究することになったタイ・ビルマ [2] 国境の難民の日常を綴っていきたい。
ドォッカーデー、未来へ向けて
ブログのタイトルにある「ドォッカーデー」とは、ビルマ語で、「苦難を味わう人、困り果てた人、災難に遭った人」を指す。これが転じて「難民」という意味になる。難民が抱える困難や災難とはなにか。故郷を離れること、家を失い家族と離散すること、あるいは難民キャンプという「監獄」に収容され、自由を奪われること……と枚挙にいとまがない。想像してみて欲しい。あれを食べたい、これが欲しい、ちょっとそこまで出かけたい……難民になることは、こうした日常的な欲求をかなえることができないことでもある。
そんな生活が、10年、20年と生涯つづくとしたらどうだろうか。諦めの境地にたち、慣らされていくのか。それとも、知恵をふりしぼって状況を改善しようとするのだろうか。
「いつか、どこかへ」と題したこのブログでは、難民が直面する苦境を踏まえつつ、そのなかでたくましく、したたかに生きる人びとの歴史と「いま」を描きたい。
多くの人にとって、難民のまま人生の最期を迎えるのは本意ではない。未来志向のタイトルは、長期間にわたって難民生活をつづける人びとの希望と、私の願いをあらわしている。
(毎月15・30日更新)
注1: 庇護申請者、難民、国内避難民、帰還民、無国籍者 [ ↑ ]
注2: ビルマとミャンマーという呼称については、次回以降で触れる [ ↑ ]