多民族、多宗教、多言語
2010年8月15日
写真:左の水色のターバンを巻いているのがパオー、続いてカヤー、シャン、パクの諸民族。普段からこのような伝統衣装を身につけているわけではない。祭事や記念行事のときだけ身につける。なお、パオーの伝統衣装では、本来オレンジ色のターバンを身につけるが、ここでは水色のもので代用している。
多民族、多宗教、多言語
すべての国家が多民族からなるように、難民キャンプも例外なく多民族、多宗教、多言語状況にある。タイの難民キャンプには、「カレン難民キャンプ」、「カレンニー難民キャンプ」、「モン難民キャンプ」という主要民族の名がつけられているが、内実は多様である。
たとえば、カレンニー難民キャンプには、カヤー、カヤン、カヨー、パク、ブウェ、マノー、シャン、パオーなどの諸民族が混在している。宗教は、統計上カトリック、バプティスト、仏教徒、アニミズムにわけられるが、これらが「混じっている」こともあり、必ずしも、宗教というくくりで分類できるわけではない。ただし、諸民族の言葉の違いは、民族的な帰属意識や宗教よりも、語感でその違いがはっきりとわかる。
たとえば、カヤー語やカヤン語は、言語学上、「カレン諸語」にくくられるものの、それぞれの母語でお互いに会話するのは難しい。文法も単語も異なるからだ。もちろん類似する単語はあるのだが、母語では会話できないので、諸民族の共通語はビルマ語になる。
幼いころから、いくつもの言葉を、ごく自然に使いわける人たちをみていると、彼らの頭のなかはどうなっているのだろう、思考するときには、何語を使うのだろう、どんな風に言葉を習得していくのだろう、といつも不思議に思う。
複数の言葉にかこまれること
夫がカヤーで、妻がカヤンの家族の例を紹介しよう。夫の母語はカヤー語、妻の母語はカヤン語。妻はキャンプの学校で習ったカヤー語を少しだけ話せるが、夫と会話をするさいには、ふたりとも不自由なく話せるビルマ語を使っている。
2004年の暮れに、2人のあいだにひとりの男の子が生まれた。この子は、ビルマ語でタター(息子)と呼ばれている。彼が生まれてから3年後に再会を果たすと、大きくなったタターは、少しだけ言葉を話せるようになっていた。
タターの面倒は、父方の親族が世話をすることが多い。だからタターに向かって発せられる言葉は、カヤー語である。母親は、隙をみてカヤン語を覚えさせようとするが、反応は鈍い。母親にとってカヤー語は、学校で習った言葉もあってか、ときどき、タターが言っていることの意味がわからず、ストレスを感じていたようだ。諸民族の共通語はビルマ語でも、タターにはビルマ語で話しかけることは、なかった。
あるとき、不思議なことに気がついた。タターが、「アルゥ~、アルゥ~(ジャガイモ~、ジャガイモ~=ジャガイモが食べたい)」と、ビルマ語の単語を発している。カヤー語やカヤン語にない単語は、ビルマ語やタイ語から借用することがある。だから、タターが「アルゥー」と言っているのも、そうだと思っていた。
それでも彼が3歳半くらいになったある日、タターは突然、「ベートワーマレー(どこへ行くの?)」と、ビルマ語で私に尋ねてきた。驚いた私は試しに、「ダーバーレー(これは何?)」と尋ねてみると、「ナーイー(時計)」とビルマ語で答えがかえってくる。ほかにも「これを見てみる?」、「これは好き?」など、質問をぶつけてみたが、どうやら通じているようだ。
同じように、タターの1歳年上のオジ(彼の父には20歳ほど離れた弟がいる)も、カヤー語話者にかこまれた生活をしているのに、ビルマ語を理解し、話すことができる。
彼らはいつのまにビルマ語を覚えたのだろうか。
タターは、両親がビルマ語で会話をしているのを聞いて覚えたのだろう。タターのオジも、まわりの大人が話しているのを、真似ているのだろう。
学ぶとは、まねぶ(真似る)ことだと実感した瞬間だった。
日常のなかで言葉を学ぶ子どもには、カヤー語(カヤン語)が母語で、ビルマ語が母国語だという区別はないだろう。そもそも、タイで生まれた子どもにとって、ビルマ語は母国語といえるのだろうか。難民として暮らすなかで、こうして身につけた言語を、いまだ見ぬ祖国の言葉として想像する日が来るのだろうか。
(毎月15・30日更新)