第5回 調査地での日々
2009年11月10日
写真: ドミニカ共和国バニ市リゴーラにて。深夜までにぎわうコルマド(食料品や生活雑貨をあつかう小商店)
日常生活
朝はいつも7時半頃にジョナタンを起こす母親の声で目を覚ます。朝食は母親が沸かしておいてくれるコーヒーに、サラミか卵を揚げたパンにはさんで食べる。こちらでは昼食に力をいれるのが習慣で、朝食はみんな軽くすませる。朝食後は、近所の野球場にプログラマ(15歳以上のプロ契約を目指す少年対象の野球教室)の練習を見に行ったり、ジョニーが行くところについて行ったりする。
昼食後は、近所の人たちの井戸端会議にまじって話をする日もあるし、家を訪ねて調査めいたことをしたりする。夕方は、ジョニーが持っているリーガ(小さな子ども対象の野球教室)の練習を手伝う。気まぐれな人たちと生活していると、毎日がルーティンワークのように進んでいくことがなく、おもしろい。
軽い夕食をすませると、水のシャワーを浴び、小奇麗な格好に着替えてブラブラ。大リーグがやっている時期には、電気がきている市街地まで出て、コルマドでテレビ観戦をする。ビールを飲みながら、好きな野球を観ていると口もなめらかになるらしく、ジョニーがライフヒストーリーを問わず語りに話しだす。こっちは、必死にメモをとるから酔いつぶれるわけにはいかず、大変である。これもフィールドワークだと私は思っている。
調査者として生きることの葛藤
こんな日常ですなどと書くと、「すごく楽しそうな調査でいいね」といわれそうだが、今回初めて滞在しているバリオの家庭を一軒ずつまわる調査をやっているので、人間関係を築くまえに質問をしないといけない苦しみを味わっている。また、道ですれちがう人たちからの「チーノ(中国人)!」「チャン、チュン、ホン、チュン、イー(カンフー映画の口真似)」にはうんざりさせられる。なぜ、最初に「あなたはどこの出身?」と聞けないのか。知らない人の言動ならまだしも、長い付き合いであるはずの近所の大人から、真顔で「ジャッキー・チェンと知り合いか?」と聞かれるたびに胃がキリキリとしてくる。テレビでは、カンフー映画ばかりやっていてその影響であることはわかってはいるけれど、やりきれない。
また、前日に調査で訪れた人が近所のコルマドの主人に「昨日、チーノが来ていろいろ聞いていったよ」「あいつは働かずにブラブラしていいな」といっていたというのを聞くと家族の前でも口がおもくなり、「どうしたんだ?」と心配される始末。さらに毎日のように「お金ちょうだい」「携帯電話貸して」「ビールおごって」の口撃にさらされる。人間ができていないので、口論になってしまうこともしばしばある。でも、次の日には、けろっとした顔で「サトルノ! 元気?」と声をかけてくる。こちらももう少し強く、ふてぶてしくならねばと思う日々である。
週末の過ごし方
土曜日の昼をすぎたあたりから、バリオの雰囲気は週末モードへときりかわる。プラスティックの椅子を家の前に持ちだし、メレンゲやバチャータ(ドミニカの音楽)をかけて、酒を飲みながら家族や近所の人たちとすごすのだ。コルマドで友人たちとビールを飲みながらのんびりとくつろぐ。私もその輪のなかにいれてもらうのだが、冷たいビールと軽快な音楽が昨日までの疲れを癒してくれる。
「ひとたび飲みはじめると金が尽きるまで飲む」というのがこちらの酒飲みの流儀である。そのために平日は無駄遣いをせずに週末にそなえる。週末に酒を飲めない不幸を避けるためだ。普段は午前0時に閉店しなければならないコルマドも、土曜日に限っては午前2時までの営業をゆるされている。遅くまで飲んで踊ったあくる日は、昼頃まで眠りつづけるため、日曜日の午前中はバリオ全体が静寂につつまれる。閉ざされた家の扉から昨夜の残滓が滲みでて、路上にはけだるさが充溢している。早起きした日曜の朝に、そんなバリオの姿をなにも考えずぼんやりとながめている時間が嫌いではない。
それにしても人間の欲望とはすさまじい。ここでは、すべての欲望が赤裸々にその正体をさらけだす。飲み、踊り、口説き、疲れ果てて眠りにつく。平日に我慢をしているために、なおさらその反動がすさまじい。私も調査中であることを忘れ欲望に身をまかせて……といきたいところであるが、一緒に飲みながら「この人たちの遊びに対する集中力はすごいな」などとついつい客観的に考えてしまう。やはり頭の片隅のどこかに調査中だという意識があるのだ。これもまたフィールドワーカーの宿命なのかもしれない。
日曜日、午前0時。コルマドの店員がシャッターを降ろして、今週の愉悦のひとときにおわりを告げる。にわかカップルたちが、暗闇の向こう側へと消えていく。飲みたりない男たちが、すこし不満気な顔で店先に立ちつくしている。私も後ろ髪をひかれる思いで、ビール瓶を片手に家路につく。平日と週末をはっきりと区別するここの人たちと暮らすうちに、私もいつしかその習慣になじんでしまったようだ。夜風が遠くから喧騒のかけらを運んでくるなか、寝静まったバリオをトボトボとほろ酔い気分で歩いていると、形容しがたい寂寥感におそわれる。異国で暮らしていることを意識するのもこの瞬間である。そしてまた、私の一週間がおわりを告げるのである。