第11回 カクーの生涯
2010年7月11日
写真: ここがカクーの定位置だった。ドミニカ共和国バニにて
アポード(あだ名)
ドミニカで知り合いと出会った際にかわす挨拶は少し変わっている。日本だと「こんにちは」あるいは、「ご無沙汰しています」といったところだろうが、ドミニカではまず相手の名前を呼ぶのである。例えば、「ベヘ!」「マランガ!」といったような挨拶がかわされる。ベヘは「年寄り」という意味のドミニカン・スパニッシュ。マランガは「太っちょ」くらいの意味のあだ名である。ではどのようにあだ名をつけるのかというと、やはり身体的特徴から名づけられることが多い。聞くところによると、子どものころに名づけられたのが、そのまま現在にまで至っているというのがほとんどだ。
「カクー」というのは、ヘルメットを表す「カコ」というスペイン語からきている。ようするに「ヘルメットみたいに大きな頭をしているやつ」という意味である。日本で言うところの「福助」だ。こんなあだ名をつけられると、気持ちのいいはずはないと思ってしまうのは、繊細すぎる日本人の感覚で、ドミニカではむしろあだ名をつけられないことのほうが悲しい。
ドミニカには、日本のタロウやヒロシのように無数のホセやペドロが存在する。そのため、噂話をするときに「ホセがねぇ」といっても、まず「どのホセが」というところから説明しないといけないほどだ。ところが、ひとたびあだ名で呼ぶことで、そのほかのホセとは区別され特別な存在になる。また、あだ名をつけられる人は、良くも悪くも人びとのあいだで話題にのぼる頻度が高い。カクーもそのような人たちのひとりであった。
福助の生い立ち
カクーは典型的なドミニカの大家族の6男として生をうけた。そして、今年の1月に28年間の短い人生に幕を降ろした。まともな職業に就くこともなく、フリトゥーラの後片付けを手伝うかわりに、その日の食べ物にありついたり、鶏を絞めて市場に売りにいく幼馴なじみのトラックの助手席に座っていたりと物乞いのような生き方をしていた。そんな苦労人だからか、私の拙いスペイン語に辛抱強くつきあってくれたのも、バリオの複雑な人間関係を私が理解するまでレクチャーしてくれたのも彼であった。
華奢の大食いであった。よくもこの細い身体でこんなにも食べられるものだと、感心したものである。あるとき、食べても太らないのはマリファナを常用していたせいだと知ったときは、「こいつも苦しんでいるのだ」と心が痛んだことを覚えている。バリオの連中はカクーの置かれている状況をよく知っていたので、彼が定職にも就かずにふらふらしていることを咎めるものはいなかった。ドミニカの大家族のなかで6男に生まれることの意味をこのバリオの人たちは充分すぎるほど知っていたのだ。
父親はバニと首都サント・ドミンゴを結ぶバスの運転手で、カクーの弟が車掌として一緒に働いている。日雇いの建設現場で働く男たちが多いこのバリオにあって、安定した収入があるとはいえ、それは8人の子どもを養えることと同義ではない。成人した子どもは地を這ってでも生きていかねばならないのだ。
死者に寄り添い、送る
ドミニカでは人が亡くなると、11日間喪に服す習慣がある。日本の通夜のように、亡くなった当日は親族が徹夜をして、死者があちら岸にたどりつくまで、寂しくないように見送るのだ。家の前にテントを張り巡らせて椅子を並べ、ドミノをしたり、酒を飲みながらにぎやかに夜を明かす。あくる日はお墓に埋葬するのだが、近所の暇をもてあましている男たちが、スーパーカブを暴走族のように連ね、そのエンジン音をあたかも葬送行進曲であるかのようにして死者に寄り添うのである。
死者がまだ若い場合は、バリオの人たちは一様に悲観にくれる。なにか得体の知れないものによってあの世に召されてしまったと考えるからだ。それを証拠に、殺人や事故で亡くなったもの、そしてカクーのように20代で亡くなったものの葬式では、その家につづく通りの両端にロウソクを等間隔に並べて、万燈篭のような幻想的な雰囲気につつまれる。このようにしてカクーの魂も無事にあの世に送られ、11日間続いた葬式が終わるとバリオはなにもなかったように、またいつもの日常へと戻っていった。
残された帽子
私の手もとにボストン・レッドソックスの帽子がある。所々に白いペンキがこびりついた年季のはいった帽子である。去年の9月、ドミニカを発つ前日にバリオの仲間が開いてくれた送別会での出来事だった。夕方から飲みはじめた酒も尽きはじめ、そろそろお開きというころ、朝から顔をみかけなかったカクーがふらりと現れた。ジーパンのポケットに突っこんであった帽子を私の手に握らせ、「これ日本に持って帰れよ」とだけ言うと、通りかかった知り合いのバイクに飛び乗り、暗闇の向こう側へと消えていった。
その数日前。ドミニカにレッドソックスのファンが多いのは、ドミニカからの移民がボストンに数多く暮らしていることと関係がありそうだという話をみんなでしているときに、私が研究資料としてレッドソックスの帽子を持って帰りたいと言ったのを覚えていてくれたのだ。
帽子をかぶってみる。力をこめないと奥まですっぽりと入らない。「あいつの頭、俺より小さかったんか」と気づいたとき、いつも肩を怒らせながら歩く、痩せたカクーの姿が目に浮かんで泣けてきた。
カクーというあだ名を耳にするたび、私は彼のことばや人生をすぐに思い浮かべることができる。それは私にとって「カクー」が特別な存在であるからだ。私は彼の本当の名前を知ろうとは思わない。
(隔週日曜更新)