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第13回 ドミニカンヨルクたちの週末

2010年8月8日

週末の夜を楽しむドミニカンヨルクたち。アメリカ合衆国、ペンシルバニア
写真:週末の夜を楽しむドミニカンヨルクたち。アメリカ合衆国、ペンシルバニア

ドミニカ通り

アメリカ合衆国ペンシルバニア州の小さな町の片隅に、ドミニカ通りと呼ばれる一角がある。「サボール・キスケーヤ」「スーペルメルカド・ドミニカーノ」といったドミニカにちなんだ看板を見ないでこの界隈をやり過ごすことはできない。人口1万5000人あまりの町に3000人ものドミニカ人が暮らしていると言われてもいまいちピンとこないけれど、この通りを歩いてみると、なるほど、たくさんのドミニカ人がこの町に暮らしているのだと実感できる。ドミニカ料理店からはあのコリアンダー独特のかおり、隣の店をのぞけば、ドミニカの家族に送金をする人たちの列、道路をはさんだ向かいにはドミニカ料理の食材を取り揃えたスーパーがあり、本国へのノスタルジーをかきたてられる。無機質なアメリカの町並みも、ラテンのアクセントが少し加わるだけで、いきいきとした表情を取り戻す。

この町にふたつしかないドミニカ系ディスコのひとつがこの通りにある。「カンティーナ(酒場)」という名のその店は、ドミニカ人の習慣にあわせて、木曜日から日曜日の夜だけ開店する。カウンターで客の注文をうける女性がドミニカ系なら、やってくる客もこの町に暮らすドミニカンである。土曜日の深夜0時。客で埋めつくされた店内には香水のにおいと人いきれが充満する。ドミニカ音楽の最新のヒットチャートが流れ、雰囲気がさらにヒートアップ。2時半の閉店まで、さあこれからが本番といわんばかりだ。

理想と現実

ドミニカではアメリカに暮らす同郷人を指して、ドミニカンヨルクと呼んでいる。ニューヨークのスペイン語読みであるヌエバヨルクとドミニカンの合成語であるが、この言葉には人びとの移民に対する憧憬の念がこめられているようだ。稼いだドルを家族に送金することはもちろん、両手で抱えきれないほどのお土産を故郷のバリオに持ち帰り、毎日のように散財のかぎりを尽くしてはアメリカへと旅立っていくドミニカンヨルクたち。そんな姿を目の当たりにした故郷の人たちが、アメリカでもこのような暮らしを送っているのだろうとおもうのも無理はない。だが、現実は厳しい。ほとんどの移民は、工場の安い時給で働き、故郷への送金も月に100ドルが精一杯。その100ドルにしても日々の生活費を切り詰めてやっとひねり出しているのである。それでもドルとドミニカペソの為替レートと物価の格差が、100ドルをそれ以上の価値へと高めてしまうために、両者のあいだに齟齬がうまれてしまうのだ。現状を説明して理解してもらえばいいとおもうのだが、そうはいかないところが人間の性(さが)。故郷の人が抱くドミニカンヨルク像に移民たちも乗っかって、そのイメージを裏切らないように行動する。友人に対してならまだしも、家族にも同じようにふるまうのだから徹底している。

ある日の夕食時、アメリカに来て5年目をむかえるフェリンがめずらしく愚痴をこぼした。「(故郷の)バリオの連中はこっちの生活のことなんて、なにひとつわかってない。もっと送金できるとおもってるんだ。こないだなんかも、やれ携帯電話を送れ、スニーカーを送れだの……」ズボンのほころびを指でいじりながらまくし立てる。「家賃、電気代、車のガソリン代に毎日の食費。残ったお金でやっと送金してるのに……」それじゃ、どうしてそのことを正直に言わないの? 意地悪とはおもったが、たずねてみた。「それは……」と口ごもるフェリン。「夢を……そう、本当のことなんて誰も知りたくないからね」

夢なら覚めないで

深夜2時。酔っ払いはじめた客の嬌声で店内が一層騒がしくなり、雰囲気があやしくなる。フロアには、派遣労働者として工場での単純作業に従事するもの、毎夜ドラッグの売人として危ない橋をわたっているもの、アメリカ生まれの子どもとの意思の疎通に戸惑う母親たち。日頃のストレスをみんながいっせいに解き放っている。そんな踊りの集団のなかに、義理の妹と楽しそうに踊るフェリンの姿をみつけた。かっこよく決めた服は、郊外のショッピングモールで買った10ドルのセール品。アメリカ育ちの妻は、週末は料理をつくってくれないので、朝から口にしたのは冷凍食品のピザだけ。耳元でなにかをささやいては、はじけるような笑顔をみせ、踊りふける。

私は知っている。ドミニカンヨルクなどという実態はどこにも存在しないということを。ドミニカンヨルクとは、人びとの心のなかに存在する偶像のようなもの。グローバル化の時代に登場したあらたな聖人像とでもいえようか。それにしても、この聖人たち、少しばかり羽目をはずしすぎる。2時半の閉店を迎えても宴は終わる気配がない。誰かが「俺の家の地下室でビリヤードをしながら飲みなおそうや」と誘い舟をだすと、そのまま全員でなだれこむ。ラム酒のコーラ割りにウィスキー、普段から「水みたいで味がない」と酷評するアメリカの缶ビールが次から次へと空けられていく。とてもじゃないけど彼らの体力につきあいきれない私は、地下室のソファでいつのまにか眠ってしまったようだ。夢見心地の頭に聞こえてくるのは、今度はいつ故郷に帰るつもりだ、来年には弟をこっちに呼び寄せようと思っている、故郷に豪邸を建ててやるといった夢物語の数々。夢ならどうか覚めないで……。との願いは私だけのものではなく、ここに集まった者たちすべてのものだったであろう。どのくらい眠っていただろうか。目覚めると、すでに聖人たちの姿はなく、空き瓶と吸殻だけがテーブルの上に残されていた。

(隔週日曜更新)