第14回 エスペランサ―希望の虫―
2010年8月22日
写真: 退院後、ジーシーと聖書を眺めるレイナ。ドミニカ共和国、バニ市にて
母の入院
2メートル近い長身で100キロを超える大男のジョニーが泣くのをはじめてみたのは、母親のレイナが肺がんに侵されているのを知ったときだった。1年くらい前から、ときおりレイナが「最近右足のつけ根に痛みが走ることがあってね」とこぼすようになっていた。それでも笑顔で話す口振りに、家族の誰もが深刻には受け止めていなかった。
山奥の村で生まれ育ち、一度はハリケーンで家を失いながらも、新しいバリオで3人の子どもを育てあげたレイナにとって、これぐらいのことは気にも留めていないようだった。しかし、次第に米を受けつけなくなり、日増しに痩せていく姿を見て、心配は確信へと変わった。今にして思えば、1年前からすでに病が彼女の身体を蝕みはじめていたのであろう。大好きだった幼稚園の給食婦の仕事を休み、毎晩のように教会に通うようになったとき、ついに夫のラファエルは金策に走り、首都の病院で検診を受けさせる決断をした。
母のいない食卓
その日、私はジョニーと一緒に家で留守番をすることになっていた。レイナが入院してから、2人の孫はそれぞれ、同じバリオにあるもうひとりの祖母の家に預けられた。子どもの相手をする必要もなく、これといってすることのない私たちは、バリオの誰かの噂話などたわいもない話をしながら、時間を過ごしていた。
いつもならレイナの妹であるメルセデスが食事を届けてくれる昼ごろになっても、誰もやってこない。それもそのはずで、彼女はレイナの身の回りの世話をするために、昨日から病院でつき添っているのだった。ジョニーが、「なにを食べたい?」と聞いてきた。彼は母親が料理をつくるのをそばで見ながら育ったので、ひととおりの家庭料理ならつくることができるのだ。それでは、ということで私は一般的なドミニカ料理である、ロ・クリオと呼ばれる炊きこみご飯をリクエストした。近所のコルマドに材料を買いにいくのは私の仕事だ。道中、向かいの家に住むジーシーからレイナの容態をたずねられるも、検査中としか答えられない。ジーシーが男だけしか家にいないことを案じて、「あなたたちの分もつくるから」と言ってくれる。ジョニーがつくることを伝えると興味をそそられたのか、家までやってきて、ジョニーに材料はこれを使えだの、やれサソン(自家製の調味料)はあるのか、などとお節介を焼きはじめる。結局、ジーシーの家族の分までジョニーがつくることになった。
大粒の涙
なんとか料理が完成し、ジーシーの息子も加わり昼食がはじまった。料理が予想以上においしいことに驚きながら、「夜も俺がつくるから」となんとも楽しげな表情を浮かべるジョニーを微笑ましく眺めていた。そんな穏やかな空気を一変させたのは、父親のラファエルからの電話。短いやりとりの後、受話器を置いて腰掛けたジョニーは、私たちに向かって「ママは肺がんだった」とつぶやくと、大粒の涙をこぼしたのだった。
あまりに唐突すぎる報せにジーシーと私は戸惑ってしまい、涙にむせぶジョニーをなぐさめることもできない。まだ幼いジーシーの息子は、起きていることの意味もわからずに、ただスプーンでご飯をいじっている。そのたびに窓から差しこむ光が反射して壁にスプーンの形を浮かびあがらせた。食器を片づけ、残ったご飯をプラスティックの容器に移しかえるとほかにすることもなくなってしまった。いたたまれなくなった私はパティオに出て、いつもと変わらない空の色を眺めながら煙草をたてつづけに2本吸った。
遠くからジョニーの嗚咽だけがいつまでも聞こえていた……。
それぞれの思い
翌朝、パティオには聖書に目を落とすラファエルの姿があった。私がこの家に暮らすようになってはじめてではないだろうか。昨夜、夜遅くに帰ってくると、「入院費が高すぎるからいつまでも入院させることができない」とこぼしていた。やりきれない思いが祈りにむかわせたのか。そんなことを考えていた私を混乱させたのは、夕方近くに野球のユニフォームに着替える彼の姿だった。「ソフトボールのリーグ戦が今日からはじまるから」となんのてらいもなく言うのである。私は耳を疑った。こんな日にも野球をしようとする気持ちがわからない。しかし、「こんなときによく野球なんかできるな」という言葉をなんとか押しとどめたのは、今朝の光景が頭に残っていたからだった。
窓から西日が差しこむころになって、ようやく部屋にこもっていたジョニーが顔をみせた。私を椅子に座らせると、開口一番「俺、ニューヨークに行くわ」と告げた。どんな仕事も長続きのしない彼の言葉に、即座には真意を測りかねた。近所の誰かがアメリカに渡った話にもさして興味を示さなかった男が、である。曰く、父親が漏らした入院費のことをあれからずっと考えていたとのこと。そう話す表情からは、揺るがぬ覚悟が伝わってきた。
3日後、マジンバ(豪放な性格の人)として近所ではとおっているメルセデスが、すっかりやつれて帰ってきた。聞けば病院のまわりの食堂はおいしくないうえに、日頃食べているのと同じような料理にお金を払ってまで食べる気もしないから、病院の前の屋台でエンパナーダを買って済ますことが多かったとのこと。でも本当は、大好きな姉のはじめての大病をまえに、食欲などわかなかったのだとおもうと胸が熱くなった。
希望の虫
その日は、レイナの病状が安定したこと、子どもたちがこちらの家に帰ってきたこともあって、ひさしぶりに、にぎやかな話し声が午後の日差しのなかに溢れていた。子どもたちが鶏小屋の壁をはう一匹のカマキリを見つけた。こちらではあまり見かけない虫である。と、その瞬間、メルセデスが「捕ったらダメ!」と強い口調で子どもたちを制したのだ。腑に落ちない表情の子どもたちと私に、「この虫はエスペランサと呼ぶのよ」と教えてくれた。日本語で「希望」。
思わぬ注目を集めることになったそのカマキリは、同じ場所に留まったまま、首をもたげ一点を凝視していた。強くつかめばすぐにでも息絶えてしまうほどの小さな虫が、私の眼の前でマキシモ・ゴメスの風格を漂わせ、堂々たる姿で君臨している。そこには怯えや迷いなど微塵もなく、確実に一歩を踏み出そうとする決意をこめて。 希望の虫がゆっくりと動きはじめた。壁の高みに向けてどこまでも、どこまでも・・・・・・。
(隔週日曜更新)