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第17回 コンパドレの仁義

2010年10月3日

ジョルキンの代父のジュニオール(右)は、父親ジョニーのコンパドレ。ドミニカ共和国、バニにて
写真: ジョルキンの代父のジュニオール(右)は、父親ジョニーのコンパドレ。ドミニカ共和国、バニにて

代父母(パドリーノ)選びは慎重に

カトリックが国教となっているドミニカでは、子どもが生まれると洗礼式をおこなう。そのとき、両親と一緒にその場に立ち会うのが代父母(パドリーノ)たち。みんなで祈りを捧げ、水で赤ん坊の身体を清める。この儀式が終わると、ようやく神の子としてこの世に生を受けたことが認められる。洗礼式がすめば彼らの役目が終わるのではなく、その子の成長を実父母とともに一生見守っていく責任を負う。もし両親が経済的に困窮したならば、代父母である彼らが食事を与え、服を買い与えるのだ。

このように重大な責任を負うことになるのだからパドリーノは慎重に選ばないといけない。幼馴じみや友だちであるからといって、安易に選んではならない。大切なことは尊敬できるか否か、信頼できるか否かである。なぜなら、子どもの代父母であると同時に、ことあるごとに自分の相談相手になってくれるのも彼らだからである。こうして選んだ相手とは、洗礼式以降は互いにコンパドレと呼び合い、常に敬意を払って接することになる。

絶妙な関係

疎遠ではないが、べったりというわけでもない。それがコンパドレの関係である。はたから見ると、いささか仰々しくもある。道ですれ違ったとき、たとえそれがバイクの運転中であってもお互いが被っていた帽子を取って「コンパドレ!」と挨拶を交わす。また、毎日のように顔を合わしているのに、「コンマドレ(コンパドレの女性版)!」と大げさに声をかけるのだ。そこには普段のくだけた挨拶からはほど遠い堅苦しさがある。

滞在先の家の母親レイナは病気で家事ができない。そこで毎朝、近所に住むパットーラがやってきては、無言でたまった皿を洗っていく。無駄口を叩かないぶん、余計に思いが伝わってくる。レイナが元気なころには、頻繁にやってこなかったから、やはりレイナの病状を慮ってのことだと思われる。パットーラはレイナのコンマドレである。

通常の場合、コンパドレが家を訪ねて来ることは稀だ。本当に絶妙なタイミングでやってくる。本来の彼の役割は代父だから、子どもの顔を見に来るというのが来訪の目的である。とはいえ、子どもと交わす言葉など知れているので、すぐにコンパドレ同志の近況報告となる。

ジョニーが息子のジョルキンと過ごしていたある日の昼下がり。バイクでやってきたジュニオール(ジョルキンの代父)は、エンジンを停めてジョニーに近づくと、真っ先に帽子を取り「コンパドレ! お元気でしたか?」と仰々しくいつもの仁義を切る。「そちらこそおかわりはございませんか? コンパドレ!」とジョニーが応じる。ぎゅっと握られた手と手が揺るがぬ信頼をつないでいた。相変わらずの芝居がかったこのやりとりに、思わず笑ってしまった私。しかし、日本にはないこの関係が内心ではちょっとうらやましかったのだ。

この数か月後、私はパドリーノとなり、念願のコンパドレを持つことになった。私の仁義の切り方はというと……やはり滑稽に映るみたいで、相手から笑われる始末である。