第18回 犯人は誰だ!?
2010年10月17日
写真: ジョナタンに抱かれる猫。ドミニカ共和国、バニ市にて
消えた魚
その日のレイナの頼みごとは変わっていた。「悪いけど、この魚の重さをマリッサの店で量ってきてくれない?」とビニール袋を手渡された。そんなことならお安い御用……でも、何のために? とにかく、2.75リブラ(約1.24キロ)という数字だけをしっかりと頭に刻みこみ、レイナに伝えた。「アイ!! なんてこと。サンポールが私を騙したわよ!」。
ことの顛末はこうである。つい先ほど魚の行商人であるサンポールが家の前を通りかかった。家のものがみんな出払って、今日はお使いを頼むことができない。サンポールが来たのを幸いに、昼ご飯のおかずにと魚を買うことにした。その時、サンポールは確かに3.5リブラ(約1.58キロ)と言い、その分の金額をレイナは支払ったのだ。魚の入ったビニール袋を台所の流しに置いてから、玄関に椅子を持ち出してフリフォーレス(インゲン豆)の皮むきをしていたそうだ。そろそろ昼食の準備にとりかかろうかというときになり、初めて異変に気づいた。これ3.5リブラもないじゃない、と。
0.75リブラの攻防戦
「サンポール、私を騙したわね」レイナが先手を打った。「俺は一度だって目方を誤魔化したことなんかないぞ」サンポールも負けてはいない。
0.75リブラ、値段にすると20ペソ(60円)。魚一匹をめぐる闘いがはじまった。
レイナ 「足の悪い私を騙すなんて卑怯者もいいとこじゃない」
サンポール「そんなことするわけがないだろ」
レイナ 「クリスチャンの私が嘘をついてるっていうの?」
サンポール「じゃ、重さを量ってみろよ」
レイナ 「さっき、量ったら2.75リブラしかないから言ってるんじゃない」
泥沼へと向かいかけた流れを食い止めたのは、サンポールの咄嗟の機転だった。「猫がくわえて行ったんじゃないのか?」「……」思いがけぬ一言に、レイナは二の句が継げない。そこに隣家のフィオールが、「レイナ。あんたのところ、猫を二匹飼ってるじゃない。あいつらの仕業よ」と助け舟を出してきた。ここで試合終了。
行商人という生き方
家の玄関から通りを眺めていると、実にたくさんの行商人が通りかかる。彼らが売り歩く商品は、靴、衣服、鍋、音楽のCD、魚といったところである。なかには、バイクやトラックでアグアカテ(アボガド)やプラタノ(食用バナナ)を売ってまわるものもいる。大きなトラックにタンクを積んで、飲料水を売るのも行商人の発展型であろう。
行商人のことをドミニカではチリペロ(chiripero)と呼ぶのだが、行商人だけに限定せずにもう少し広い意味で用いられている。定職が見つからないから、行商をして日銭を稼ぐ男性。または、その日の食いぶちを探し歩く男性を指す。ここから敷衍して、仕事をコロコロ変えては、いつも目新しい儲け話を探し歩くドミニカ人男性一般を指すようになった。つまり、チリペロとは、行商人のような生き方をしているドミニカ人男性全体を指しているのだ。
興味深いのは、この言葉をよく使うのが、家事全般をこなしたうえで、さらに家計を維持するために家政婦の仕事や工場労働をこなしている女性たちであること。男性たちはよもや自分たちがチリペロなどと言われているとは想像もしていないに違いない。今回の魚の一件も、レイナとサンポールの口論ではあるけれど、ドミニカの男女間ですれ違う労働観をめぐる代理戦争でもあったのだ。
憐れな猫
真実は時に明らかにされない方がいい。結果として、サンポールは信用を維持し、レイナもことを荒立てずにすんだ。バリオで暮らすなかで身につけた処世術。徹底的に犯人探しをおこなっても、残るのは後味の悪さだけ。フィオールもそれを感覚的にわかっていたのだろう。見事な行司さばきだった。
しばらくして帰宅したラファエルは、生まれたばかりの3匹の子猫とオス猫の貰い手を探しに出かけていった。それにしても、憐れなのは罪を押しつけられた猫たち。飼い主の問題をその小さな体で一手に引き受け、弁明の機会すら与えられずに新たな主人のもとへと旅立っていった。去り際に「ミャアオ」と一鳴きしたのは、「まったく人間って生きものは……」というつぶやきだったのか。残念ながら、私は猫の言葉を解しない。