第24回 チチグアと少年
2011年1月16日
写真: あり合わせの材料でチチグアをつくるラモン。ドミニカ共和国、バニ
カリブの風にのって
バリオの人たちがセロ(丘)と呼ぶ場所がある。なんてことのないハゲ山で、でこぼこの岩がいたるところでむきだしになっている小高い丘。乾季には干あがってしまう小川を渡り、子どもたちが草野球に興じる原っぱを抜けるとなだらかな坂の入口に出る。そのあたりはバリオの人たちのゴミ捨て場と化していて、いつも2、3頭の牛がゴミの山に鼻先を押しつけてエサを物色している。私は息をとめて悪臭の漂う一帯をやり過ごし、そこら中に散らばっている牛糞に足をすくませながら頂上をめざす。
これまで何度セロへと足を向けただろう。調査にいきづまるとここに来た。頂上までのぼって腰をおろすとここちよい風がやさしく頬をなでて、疲れを遠くに運び去ってくれる。眼下に広がるバリオはそのなかにいると息苦しかったはずなのに、こうして全体を見わたしていると、愛しく思えてくるのが不思議だ。なにより坂道ダッシュをしている野球少年のほかには誰もやって来ないのがいい。いつのまにかここが調査地で唯一ひとりになれる安息の場所となっていた。
何度目かのセロへの逃避行の折だった。いつものように夕焼けに染まるバリオを眺めていると、視界に黒色のビニール袋が飛びこんできた。
凧(チチグア)をあげているのだ――とはすぐにわからなかった。ビニール袋の凧がこんなに高くあがるとは想像もしなかったからだ。凧糸を眼でたどっていくと、かなり遠くのほうでまだ小学生くらいの少年がひとりで糸を操っていた。
ブリコラージュ
ドミニカの子どもの遊びは素朴だ。ビー玉のあてっこにゴム跳び。バイクのタイヤを棒切れで押しながら歩くタイヤ転がし。飲料水タンクの蓋をボールがわりにした野球。車体には牛乳パックやペットボトルを使い、タイヤはミシンのボビンで代用した車のおもちゃ。いずれもゴミ捨て場から漁ってきたものばかりである。最近でこそテレビゲームも見かけるようになったとはいえ、子どもたちはどこからか廃材を探してきては、知恵をしぼって遊び道具に転用しているのだ。
貧しいバリオでは子どもにおもちゃを買ってあげられる家庭は少ない。凧を買うお金があれば、家族全員が3日間食事にありつける。「自分でつくれるものにお金を払うなんてバカげてるよ」とはラモンのセリフだ。そういえば何年かまえにラモンが凧をつくるのを眺めていたことがあった。そのとき、ドミニカでは凧をチチグアと呼ぶこと(ちなみにチチグアというスペイン語は辞書にない)。ほとんどの子どもが自分でつくれること。どこのゴミ捨て場に行けば糸がたくさん転がっているかといったことを教えてくれたのだった。いまでは、たいていの料理をてきぱきとつくってしまうし、見様見真似で覚えたバイクの運転もさまになっている。学校の勉強はさっぱりのラモンだが、ブリコラージュ(器用仕事=身のまわりにあるあり合わせの道具や材料でものをつくること)の実践者としてたくましく育っている。
自分の感覚を信じること
生きる力とはきっとこういうことなのだと思う。なぜドミニカの人たちがことばも習慣も異なるアメリカでやっていけるのか、あるいは行ってみようと思えるのか。それは彼らがどんな環境でも生きていける強さを持っているからだ。その強さとは、これまでの経験で培った感覚を信じる強さである。人間は理性だけに頼りすぎると往々にして袋小路に迷いこんでしまいがちだ。そんなとき突破口を開いてくれるのはやはり自分の感覚でしかない。
少年はあいかわらず糸をきつく握りしめて空を見あげている。私には少年が指先に伝わる風の力をゆっくり時間をかけて身体に覚えこまそうとしているように見えた。ビニール袋の凧は少年に操られるがままに同じ場所を舞っている。
その光景を眺めているうちに、ふと自分が凧のようなものではないかと思えてきた。なにかに引っ張られて同じ所をぐるぐると舞っているだけの凧。調査に疲れた頭を休めるために……とはなんて滑稽な言い草だろう。頭を使うよりも自分の感覚をひたすら信じるべきではないか。廃材を探すようにバリオの人たちの声を聞きとり、拾い集めた材料でチチグアをつくるように論文を書くべきではないのか、と。そのチチグアが空高く飛ぶかどうかはわからない。それでもいいではないかと私は思った。
薄暮のなかでチチグアが霞みはじめていた。セロへの逃避行はこれで最後だ。
(隔週日曜更新)