第25回 それぞれの守護聖人
2011年1月30日
写真: パトロナレスを前にバリオを行進する学生のバトン隊。ドミニカ共和国、バニにて
祭り囃子の誘惑
いつも冗談ばかり言っては場をなごませているベヘが浮かない顔をして、ひとり椅子に腰かけていた。おりしもバリオは年に一度のパトロナレス(守護聖人の祭り)をむかえて浮かれモードである。お祭り男のベヘがこんなしけたツラをしていてはこちらの調子もあがらない。
「どうした、ベヘ?」
「パトロナレスなんてなければいいのにと思ってさ……これから11日間、パトロナレスが続くだろ。普段は週末にしか飲まない酒が飲める。望むところさ。ただし金があればの話だ。ここ3日、建築現場の仕事がまわってこなくてスッカラカン。でも遠くから音楽が聞こえてくると、いてもたってもいられなくなる。で、結局行くんだけど金がない。人にたかるのは好きじゃないし、自分の金で好きなだけ飲めないなら、いっそのことはやく終わってくれたらいいのに……」
パトロナレスはカトリック教徒が守護聖人に捧げる祭りである。それぞれの国、都市、バリオ、個人が異なる守護聖人を拝している。ドミニカでは1月21日が聖母アルタグラシアの日にあたり休日となる。この日はアルタグラシアを守護聖人とするオコアとイグウェイという街でパトロナレスがひらかれ全国から大勢の人が集まる。
私の調査地、バランコネスのパトロナレスは、毎年7月初旬に開催される。バリオ内の公園には遊具が設置され、公園を取りかこむようにビールとラム酒を売る屋台がずらりと立ち並ぶ。公園の入口にはステージと巨大なスピーカーがでんと腰を据え、そこから流れる大音量がバリオ中に響きわたる。風に乗って音楽が聞こえてくると、異国の地にいてさえ子どもの頃に待ちわびていた祭り囃子がよみがえり、俄然、心が浮きたつ。
バリオの記憶
パトロナレスの目玉は日替わりでメレンゲやバチャータの人気歌手がやってきてステージで生演奏をしてくれること。普通ならこんな小さなバリオのパトロナレスに人気歌手がくるはずがないのだけれど、このバリオ出身の2人の大リーガー、ミゲル・テハダ(オリオールズ)とルイス・ビスカイーノ(元ブリューワーズ)が数年前から歌手を呼ぶようになった。それを目あてによそのバリオからも多くの人がやってくるから、公園は足の踏み場もないほどの人混みでごった返し、即席の野外ディスコへと姿をかえる。
このパトロナレスがはじまったのは10年ほど前のこと。そもそもこのバリオの歴史はそんなに古くない。1979年にドミニカを襲った史上最大のハリケーン・デーヴィットによって家屋を失った人たちが移住してきたのがはじまりである。その揺籃期に教会の修道女が資金を集め、住民と力をあわせて学校や公園を整備し、バリオの基礎がつくられた。その労苦と功績を称え記憶にとどめるために、修道女が愛してやまなった聖母カルメンを守護聖人として、パトロナレスがひらかれるようになったのだ。
すでに修道女は亡くなり、年老いた移住第一世代の多くは騒々しい会場に足を向けることはない。そのかわりに、当時、まだ道端をかけまわっていた子どもたちが大人となって公園に集っている。酒を片手に先人に思いをはせるのが正しいパトロナレスの過ごし方だと思うのだが、現実はどうもそうではないようだ。フルボリュームのレゲトン[1]で隣の人間の声も聞きとれないようでは、心を落ちつかせるなど至難の業だ。お祭り男ならずとも、朝まで飲んで踊りあかすぞ! である。
あらたな時代の守護聖人
DJが10分おきに連呼する。「明日はサカリア・フェレイラス(バチャータの人気歌手)がやってきます。ミゲル・テハダとビスカイーノの協賛です」聞かされるほうはうんざりだ。わかったから、黙って金だけだしてくれよという気分になる。それにしてもビスカイーノという選手には驚かされる。毎年、パトロナレスの期間中に突然あらわれ、生家の隣人や旧友たちに札束をばらまいていく。たった2日間のオールスター休みを利用してとんぼ返りをするのだ。本人がやってくるのだからDJもしつこく連呼しないといけないわけだ。こうなると華美になる一方の祭りはいったい誰のためにと思ってしまう。その一方で、パトロナレスはパトロンと語源が同じだから、間違ってもいないかと納得もする。いつの日かこのバリオの歴史として語られる日がくるだろう。かつて野球選手の時代があったと。そういえば、テハダもビスカイーノも親が移住第一世代である。これが苦労する親の背中をみて育った彼らなりの流儀なのだと酔いがまわりはじめた頭で考えた。
人混みをかきわけてベヘがこちらにやってくる。手にはラム酒がしっかりと握られている。さてはビスカイーノに……??? 「これで今年のパトロナレスも酒が飲めるぞ!」ベヘがひとつ大きく吠えた。それぞれにとっての守護聖人がいる。そういうことなのだと思う。とにかくお祭り男がやってきた。今日は朝まで帰れない。
- [1]プエルト・リコ、ドミニカで若者に絶大な人気を誇る激しいアップテンポのダンス音楽。過激で卑猥な歌詞のために、年配の世代には刹那的な若者世代の象徴として顔をしかめる人も多い。↩
(隔週日曜更新)