第28回 多言語の海を泳ぐ子どもたち
2011年3月27日
写真:算数の問題を解く外国籍児童。中津小学校日本語教室にて
日本語学級
「3の段までできるようになったか。すごいな」先生にほめられたコウジ(日系ドミニカ・小学2年生)は、顔をくしゃくしゃにさせてうれしそうだ [1] 。九九カードという教材を使って、各段を暗唱できれば合格。
「アサガオ、オカシ……」少しはなれた席から、先生のことばをタドタドしく復唱する声が聞こえる。別の先生が電子辞書を片手に、フィリピンから来日してまだ2週間の女の子につきっきりで教えているのだ。もうひとつの島では、3年生のエリカ(日系ブラジル)とヨシタカ(日系カンボジア)が通常学級であった算数のテストを復習中。ふたりとも日本語で書かれた文章題に苦戦している様子がうかがえる。
愛川町立中津小学校の日本語学級での授業風景である。全校児童626人のうち、外国籍の児童は86人。日本国籍だが、日本語指導が必要な児童4人をくわえると90人の子どもが外国にルーツをもつ。このなかで日本語学級にまなぶ児童は45人である。中津小では、3人の日本人教員と母語通訳者3名(スペイン語、1名はポルトガル語通訳も兼任・週に2回)が日本語学級での指導にあたっている。
子どもたちは日本語運用能力によって3つのレベルにわけられる。来日してまもない児童は、ある程度の会話ができるまで、母語通訳者が日本語を教える。読み書きがまだ苦手な児童と、日本語の微妙なニュアンスがわからない児童が通常学級の算数と国語の時間にやって来る。エリカやヨシタカのように、解けなかった問題を持参して日本語学級の先生に教えてもらうのだ。
じつは3人の先生、誰ひとりとして日本語以外の言語を話せない。もとはといえば通常学級を受けもっていた教員だったから無理もない。だからということもないだろうが、さまざまな教材や道具を試したり、簡単なスペイン語を覚えたりと、子どもたちと一緒に試行錯誤をくり返してきた。それは、公立学校の多言語化が、ここ10年くらいの新しい現象で、教育現場にたずさわる人びとにとって、毎日がはじめて経験することの連続だからだ。
バイリンガリズム
2時間目の授業のチャイム。ドミニカ系の児童がやって来ない。「ドミニカの子ってのんびりしてるんだよな。そんなことないですか?」と先生に聞かれる。言われてみれば、時間なんてあってないようなものだったなあ……と滞在中のことを思いだしていると、勢いよく教室の扉が開いて体格のいい男の子が入ってきた。ヒロシ(日系ドミニカ・5年)は時間に遅れたことに悪びれた様子も見せずに「先生、今日なにやんの」とマイペースである。
2時間目が終わった後の休憩時間に、ヒロシに話を聞いた。ドミニカで生まれてすぐに、日本にやってきた。2年生のコウジは弟である。野球が大好きで少年野球チームでは4番でファースト。話していてもどことなく鷹揚な雰囲気が伝わってくる少年だ。
学校にいるときはほとんど日本語だという。南米系の友だちと話すときは、相手が得意なことばにあわせる。それでも100%スペイン語ではなく、日本語がかならず混じるのだそうだ。反対に、家ではスペイン語である。両親がスペイン語で話すようにとうるさいからだ。使わないとスペイン語を忘れてしまうとの理由だそうだが、日本語が苦手な親は多いのである。親が病院に行くのに、通訳として連れて行かれ、学校を休んだことがあると聞くとバイリンガルの子どももなかなか大変だと思う。
掃除の時間に教室をのぞいてみた。ヒロシは、日系チリ人の友だちと格闘技をして遊んでいた。ふたりはスペイン語を使っていた。そうかと思うと、その数分後には「トイレの神様」を鼻歌で歌いながら、ほうきで床を掃除する。まわりの日本の子どもたちは、とりたてて気にもとめてなさそうである。同じクラスには、ヒロシ以外にも日系ペルー人やラオス人の子どもがいる。そんな光景を眺めながら、この環境が特別なことではないという感覚を大人になっても忘れないでほしいと心のなかで願わずにはいられなかった。
多言語化の先にあるもの
日本語学級の目的は、外国人児童の日本語能力を向上させること。授業風景を観察していても、なんとか子どもたちが落ちこぼれないようにとの教員の熱意と愛情が伝わってくる。しかしそこに違和感をおぼえたのも事実である。それは、コウジに国語が嫌いな理由を聞いたときだった。「もし、誰かがスペイン語に訳して読んでくれたら解けると思う」と言ったのだ。小学生のころに来日した子どもは日本語と母語双方で読み書きが苦手な傾向にある。どちらの言語でも文章で書かれたものをきちんと理解し、考えることができない、いわゆる「ダブル・リミテッド」である。問題の背後には、国家の移民言語にたいする政策理念が示されぬうちに、外国人児童が増加し、学校現場が制約のなかで独自に対応しなければならなかったことがある。コウジは小学校に入学するまでは、日本語をほとんど話せなかった。しかし、制度上の問題から、母語教育を受ける機会はいまだに訪れていない。
5時間目。2年生のファティマ(日系ドミニカ)、ユウコ(日系ペルー)、それに日系イラン人のサマンをくわえた女の子3人がクレヨンで絵日記を描いている。ファティマが「ムズイ、図書館ぬんのー」と先生に甘える。私語はすべて日本語だ。と、サマンがユウコに「rojo(スペイン語で赤)貸して」と頼んだのだ。私は一瞬、自分の耳を疑った。混乱した。おもわず彼女に話しかけた。「サマンちゃんは、イランでしょ?」「ユウコとファティマが使うから覚えちゃった」と涼しい顔で教えてくれた。
私は日系ドミニカ人の子どもたちが、母語であるスペイン語をどれだけ使って、どれだけ使っていないのかということを調べるためにこの学校を訪れたのだが、そういう前提が誤りだったことをサマンが気づかせてくれた。友だちが使用する単語をおそらくは自然に借用したのだ。多民族学級ならではのエピソードである。同時に母語と日本語だけの関係にとらわれていた思考を揺さぶられ、ちょっとした心地よさを味わった。そして、こうして現実に進行する多言語化が、近い将来、この国の単一言語主義を揺るがす嚆矢となりうるのだとの期待をさせてくれた。
5時間目の終わりを告げるチャイム。コウジが元気いっぱいの声で「これで5時間目の算数の勉強をはじめます」と挨拶。すかさず「はじめますじゃなくて、終わりますだろ」と先生が笑いながら訂正をした。
- [1]この回に登場する子どもたちの名前はすべて仮名。括弧のなかの「日系」は両親または祖父母のいずれかが日本人であることを表す。↩
(隔週日曜更新)